30. 目が覚めたとき、言いようのない幸福感と底知れない後悔が 混沌となってアタシの中を満たしていた。 仁を好きになってから、いつも心のどこかに同居してた、相反する感情。 隣で眠る仁をみつめる。 ごめんね。 ごめん、仁。 アタシ・・・ アタシはずっとアナタのそばにいることができないのに。 だから、本当はこんなことしちゃいけなかったのに。 アタシが突然いなくなってしまったら。 きっと、仁は悲しんでくれる。 きっと、笑えなくなってしまう。 それがわかっていながら、アタシは。 どうしても欲しかったの。 アナタが。 アナタとの想い出が。 クリスマスの早朝の空気はどこまでも透明で、 アタシの身勝手で汚い心を見透かされたような気がした。 昨夜降った雪が舗道の植え込みやガードレールの下にうっすらと残っている。 でも、それも、あと数時間で溶けて消えてしまうだろう。 溜息は白い真綿のようになり、アタシは仁のクローゼットから拝借した スウェットの袖を指先で引っ張った。 そうすると、アタシの指先はすっぽり隠れてしまう。 「あったかい・・・」 ひっぱった袖で頬を包んだ。 鼻先を微かにくすぐる、煙草とコロンの香り。 鼻の奥がつんとした。 それが寒さのせいなのか、溢れてきた涙のせいなのか、 はっきりとはわからなかったけれど。 すんっと鼻をすすってアタシは呟く。 「仁・・・大好きだよ・・・」 仁のために夕食を作ったことは何度もあった。 仁はアタシに懐いていたし、レイともとても仲が良くて、 アタシたちの家でいっしょに夕飯を食べたことが何度もあった。 でも、仁の朝は、沙羅さんのものだったから。 アタシ、ホントはずっと夢見てた。 仁の朝に、アタシがいること。 仁のための朝食を作ること。 最後に、その夢、叶えてもいいかな・・・? どこまでも身勝手で我儘でゴメンね。 アタシはアタシの望みだけを叶えて。 そして、アナタの前からいなくなる。 アナタを傷つけるってわかっているのに。 アナタが笑ってくれればそれだけでいいって あんなに願っていたのに。 ゴメンね。 許してなんて言えない。 アナタが泣くくらいなら、嫌われたほうがいい。 だから、最後まで、アナタのことだけ想ってるアタシを見て欲しい。 そして失望して。 突然消えてしまったアタシのこと、憎んで。 アタシはこの想い出をずっとずっと大切にするから。 宝石のように、キラキラ輝く想い出。 ううん、きっと、アナタ自身がアタシにとってたったひとつの宝石。 仁、アナタこそ、アタシの中で永遠に輝く宝石。 「ちゃん、もう帰んの・・・?」 ちょっと拗ねたように仁が言う。 「はい、一度マンションに戻って・・・二階堂の家に行ってきます。 逃げてちゃいけないですよね。ちゃんと話して・・・わかってくれると思うんです、きっと・・・」 「・・・ん。ムリは・・・すんなよ?なんかあったら、オレに言って?」 「・・・ありがとう」 「・・・」 「ありがとう、仁。仁がいたから、アタシ、ちゃんと話し合おうって思えた・・・ もしアタシひとりだったら・・・きっと・・・」 「レイ、ちゃんのことめっちゃ好きだもんな」 そう言って仁が微笑む。 「アイツがいればオレも安心だわ、すげー頼りになるもん笑」 アタシから視線を逸らして、ちょっと照れたように、本当に優しく仁が微笑む。 「また海、行こう。今度は3人で。な?」 今度はアタシの目を見ながら笑う。 この笑顔。 なんて優しく温かく笑うんだろう。 見ているだけでシアワセになれるよ。 仁。 「じゃあ、次はもっとおかずいっぱいのお弁当、作らないと、ね」 「マジ?!すっげうれしい!来年のスケジュール出たら、すぐ日決めよ、な?」 それには応えずにアタシは笑った。 仁も笑った。 今日のスケジュールを思い出しながら、迎えに来る運転手の名前と時間を 仁に教えると、呆れたように笑いながら頭をポンポンと叩かれた。 「わかった、わかった!ちゃんと連絡来るから、ちゃんが心配しなくてもだいじょーぶだって!」 だって・・・竹本さんってちょっとおしゃべりでおせっかいなところがあるから・・・ 仁、だいじょうぶかなって思ったんだもん・・・ 仁は、人見知りじゃないけど、必要以上に踏み込まれるの、キライでしょ・・・? 誰にでも同じようにぶっきらぼうで、でも本当は優しくて。 誤解されやすいけど、本当の仁を知れば、きっと誰でも好きになる。 アタシも・・・ 知れば知るほどアナタを好きになった。 好き過ぎて、苦しくなるほどに。 ヒールを履こうとして、少しためらう。 何か・・・何か言い残したことは・・・? 「じゃ、ね」 「ん」 「仁」 「ん?」 最後に何か言おうとしたけれど、何も言えなかった。 声を出したら、涙が零れてしまいそうだったから。 代わりにひらひらと手を振った。 現場や自宅まで送ったとき、車から降りた仁がいつも必ずそうしてくれたように。 玄関からちょこんと顔を出して、仁が見送ってくれる。 アタシは、外から見えないように、少しかがんで廊下を歩く。 エレベーターホールへと続く曲がり角で立ち上がり、 アタシはもう一度だけ仁を見た。 自然に言葉が溢れた。 「愛してる」 そのまま振り返らずに、エレベーターに乗り込んだ。 振り返れなかった。 涙が後から後から溢れて止まらなかったから。 くずれるようにしゃがみこみ、アタシは大声で泣いた。 「じんっ・・・」 さよなら。 さよなら、仁。 ずっとずっと、愛してる。