29. 部屋の中にゆっくりと満ちた冬の朝の柔らかい日差しが、 オレの意識を心地よい夢の狭間から掬い上げる。 頭は徐々に目覚めつつも重い瞼をなかなか開くことができず、 オレの右手は隣にいるはずの愛しい存在を手探りする。 「・・・?」 何度か宙を彷徨った右手はそのまま冷たいシーツを掴んだ。 それまでベールがかかったようにぼんやりとしていたオレの意識は、 急激な勢いで覚醒する。 「・・・っ?!」 昨夜何度も抱きしめた、その身体。 しなやかに反る白い首筋にいくつもいくつも印をつけた。 オレのもの。 オマエは、オレだけのもの。 もう、絶対に離さない。 どこにもいかないで。 そばに、いて。 そう言いながら何度も何度もオレに手を伸ばした。 「ここにいるから。ずっといるから」 その手をとって指先にキスしながらオレは約束する。 オマエが泣かずに済むように。 もう二度と、泣かずに済むように。 あんなにお互いの存在を確かめ合ったのに。 「・・・なんで・・・?いねぇんだよ・・・?」 転がるようにベッドから出たオレは、 短い廊下の先のドアを思い切り開け放った。 「・・・っ!!」 「あ、おはようございます、赤西くん」 朝日が踊るキッチンでオレのスウェットを着たがニコニコと笑ってる。 激しい動揺から一転、安堵に包まれて、オレはただただバカみたいに突っ立ってた。 そんなオレを気にも留めず、はコンロにかかった鍋をぐるぐるっとかきまぜて、 真剣な顔で味見したかと思うとよし、と会心の笑みを浮かべている。 そしてもう一度オレを見ると、しまった、という顔をしてこう言った。 「あ、じゃなかった、おはよう、仁」 「・・・」 「なかなか慣れないですよね、なんてゆーか、もーいいんじゃないかなって思っちゃう、 赤西くんでいいんじゃないですかね、ね、赤西くん?」 「・・・」 「赤西くん?聞いてます?あ、お味噌汁、できてますよ♪あと、出し巻きたまごもー。 今日はホウレンソウ巻いてみたんですー」 何がそんなに嬉しいのか、ニコニコという音が聞こえてきそうなほどニコニコ笑いながら、 はまな板の上の出し巻き卵を箸でひとつずつつまんで皿に並べている。 なんだよ、それ。 その態度。 今までと、ぜんっぜん変わってねえじゃん。 つーか。 オレだけなの? こんなに、オマエのコト。 溢れだす感情を我慢できず、オレは後ろからを抱きしめた。 「ひゃっ・・・なに、なんなんですか、赤西、くんっ・・・!」 うろたえるを更に強く抱きしめる。 柔らかな髪に頬をうずめて、その耳元でオレは呟く。 「・・・やだ。ナマエ、呼んで」 「・・・あ、かにし、くん・・・」 「だからぁ・・・仁って呼べ、つってんじゃん・・・」 「・・・」 「ほら。呼べよ、早く」 「・・・」 「・・・」 やーっ、もーっ!!! 突然大声を出して、が振り向きざまオレを思い切り突き飛ばした。 「ちょっ・・・!てんめ、なにすんだよっ!」 体勢を立て直し、を睨みつけたオレは呆気にとられて言葉を失う。 耳まで真っ赤になったはその大きな目にいっぱい涙をためて、 震える声でオレに抗議した。 「・・・だからっ!そーゆーの、やめてっ・・・!心臓、もたないからっ・・・ 好きに・・・大好きになりすぎちゃって、困るからっ・・・!」 ・・・。 トン、と冷蔵庫に凭れると、オレはそのままズルズルとキッチンの床に座り込んだ。 「オレ、も」 「・・・」 「オレも、好き過ぎて困る。なんか、もー・・・どーしていいか、わかんねえよ」 沈黙が流れる。 なんか、言ってよ。 おねがい。 オレの、このキモチ。 オマエの言葉で、救ってよ。 「・・・お味噌汁、冷めちゃう」 「は・・・?」 「お味噌汁、冷めちゃいますから!ほら、立って!お椀とお茶碗、出してください、 あ、あと、お箸とお湯呑みも!それくらい、ありますよね?」 せかせかと動き出すは、それでもまだ真っ赤に染まった顔をオレに見られないように わざと背中を向けて、早口でまくしたてる。 可愛くて、愛おしくて。 オレは一人笑い転げた。 「ちゃんさぁ、真っ赤だよ?真っ赤っかー!猿みてぇ!笑」 「・・・・・・!!!!ひっど・・・っ!!!!」 が振り上げたその右手を掴み、チュッと音をたてて唇にキスをした。 「・・・こーゆーの・・・照れますね」 そう言って、上目遣いにチラリとオレを見た後、これ以上はないくらいシアワセそうに、 が笑った。 他愛もない話をしながら、二人で朝食を食べた。 オレより2時間も前に起きた後、曰く「クローゼットから勝手に拝借した」スウェットを着て 近所の24時間営業のスーパーに行き、朝食用の材料をあれこれ調達したらしい。 「よかったのに、ゆっくり寝てて」 「朝ごはん、作りたかったんです」 そう言って、または笑った。 食器を洗うの横に立ち、オレはこれまたが買ってきた真っ白の布巾を手に、 手渡された皿や茶碗や湯呑みを丁寧に拭いた。 帰り支度を始めたにちょっかいを出して邪魔をした。 もぉ、やめてください、なんて言いながら、ちっともイヤそうじゃないは、 ネックレスが留められない、と、すがるような目でオレを見る。 の後ろに回り、ネックレスの金具を留めながら、オレは思う。 このままこの時がずっと続けばいい。 このまま、ずっと。 「なんか、ヘンですよね、このかっこ・・・」 不服そうに鏡越しの自分の姿を眺めた後、仕方ないか、と呟きながら、 はオレを見て微笑んだ。 「きのうのパーティーのときは、我ながらイケてるって思ったんだけど笑」 「自分で言う?笑」 「仁だって、そう思ったくせに」 チラリとオレを見ると、は不敵にフフンと笑った。 青いベルベットのワンピースの裾をひらり、と翻しながら。 「じゃあ、アタシ、行きますね」 「ん」 「今日の夜は・・・クリスマス特番の生放送だから・・・えっと、迎えは12時で竹本さんが・・・」 オレのスケジュール、把握してんだ。 マネージャーみてえ笑 「わかった、わかった!ちゃんと連絡来るから、ちゃんが心配しなくてもだいじょーぶだって!」 それでも心配そうな顔で小首を傾げると、じゃあ、と一息置いて、は言った。 「それじゃ、ね」 「ん、またな」 少しためらった後、ヒールに足を入れる。 「じゃ、ね」 「ん」 「仁」 「ん?」 何も言わずひらひらと手を振ると、は玄関のドアを小さく開けて、 その隙間からするりと廊下に出た。 オレのマンションは外廊下だけど、面した道路は住宅街ということもあって、人も車ももほとんど通らない。 それでもは外から見えないように身をかがめて、ゆっくりとエレベーターホールへと向かって行った。 以前のオレなら腹立たしく思ったかもしれない。 何も悪いことなんてしていない、もっと堂々としてろよって。 でも、今はのそのキモチがうれしかった。 大切だと思った。 廊下に手がつきそうなくらい、小さく屈んで歩くの姿を見送りながら。 オレは、呑気に考えてた。 早いうちに内廊下のマンションに引っ越そう、なんて。 エレベーターホールへの曲がり角ではすっくと立ち上がるとオレを振り返りにっこりと笑った。 「仁」 「んー?」 オレはたぶん、世界一シアワセな顔でそこに立っていた。 そんなオレをはまっすぐに見て、すっと息を吸い込むとこう言った。 「愛してる」 そして。 そのまま二度と振り返ることもなく、廊下の角に消えていった。 これが。 オレがの姿を見た、 最後になった。 。 オレにも言わせてよ。 オマエの目を見て。少しの迷いもなく。 言わせてよ、 「愛してる」って。 さよならの代わりにオマエがくれたあの言葉。 たぶん、オマエの思惑は外れたよ。 だって、今でもオレは。 オマエのこと、忘れられないでいるんだから。