ギターの音に歌声が重なる。 通りを往く人が視線を送り、 あるいは立ち止まる。 曲が終わり、まばらな拍手。 ――と、観客を割って、 2人の男が歩み出た。 「誰に断ってこんな事してんだァ?」 「ちょっと俺らと話しようや」 明らかにカタギではない風体。 「あ、あの! これ……」 光が、首に下げていた ペンダントを見せる。 この前に来た男達は2回とも、 このペンダントを見て去っていた。 だが、今回はそれが通じなかった。 「ああ、レンが言ってたアレか」 ユウがため息混じりに呟いた。 この街の“ルール”を知る人間なら、 こんな『頭の悪い』事はやらない。 だが、ルールを知らない新参や、 海外の連中が、たまにバカをやる。 「ガキでも、筋は通さないとな」 「小遣い稼ぎなら、いい方法教えるぜ」 野卑な笑い。 その手が光に伸びるのを見て、 ユウがその間に割って入った。 ブラウスの胸元を掴まれたユウが、 目の前の男に聞いた。 「で、どうすりゃいいの?」 「とりあえず、母親でも呼ぶか?  大人の話にしようや」 「熟女モノかよ。  ま、それはそれでアリだな」 ゲラゲラと笑う男達を見て、 ユウは心底ウンザリした つい、ため息が口をつく。 「ウチの親呼ぶとか やめて。  マジで面倒臭い事になるから」 「じゃ、お前らが来いよ。  悪い話にはしねぇからよ」 低い声。その凄みを打ち消すように、 ひどく軽薄な声がした。 「Oh、ブラザー達ィ!  マネー落ちてますよ〜」 2人の男の目の前に、一万円札が2枚、 差し出される。それはヒラヒラ振られ、 2人の胸ポケットに差し込まれた。 「なんだ、お前」 男はユウから手を離すと、 目を細めて笑う男に向き合った。 「ソーリー! 2人のマネージャー?  みたいなァ、そんなフィーリングで」 男は札入れから一万円札を取り出し、 それをさらに3枚ずつ ねじ込んだ。 「ちょっとワイルドなブラザー達に  お願いがあるんで、ちょっとだけ、  トゥギャザーしませんか?」 3人は街の底に消えた。 「また、歌ってくれよ」 顔馴染みが、リクエストを入れた。 ユウと光は視線と微笑みを交わす。 冷めた空気を、再び蘇らせるギター。 そして、2人の歌声――。 ---------------------------------  子供たちのアイドルと、  優しいプロデューサーの話。 ---------------------------------  ・2人の夜の話。 銀色のフォークが、 サーモンの燻製を取り分ける。 「先日のお話ですが」 銀色のナイフが、 ラムのステーキを切り分ける。 「961プロとの勝負の件?」 「社長が指揮したら、あの条件下でも、  確実に勝つ方法があるのですか?」 「簡単に思いつくのは、2つかな」 社長が、2人分のグラスに白ワインを注いだ。 「一つは?」 「CDに握手券を付ける」 深い、深い、ため息。 「『魔王エンジェル』じゃあるまいし」 千早は、現役Aランクアイドルの名を挙げた。 「『魔王』は、今何人だっけ?」 「デュオ、トリオ各1組を含む、24人です」 「大所帯だね。『幸運』いれたら50人超え、か」 「それで、もう1つは?」 「如月千早がアイドルとして再デビュー」 「舞さんじゃあるまいし!」 千早は、往年のSランクアイドルの名を挙げた。 「どちらもルール違反はしてないよ?」 「どちらも、私達のスタイルではありません」 「だから、黒井社長に遊ばれてるんだよ」 「え?」 「俺達は、  765プロらしさを捨て切きれない。  それを、黒井社長は読んでる」 「だから、たったあれだけの条件で、  俺達の勝ち筋を全て潰せるんだ」 「まさか……」 「なぜ『エメラルド・ブルーム』や、 『ラヴィアン・ローズ』を  代表に選ばなかったんだい?」 「いくらなんでも、  デビュー直後のアイドルに、  Aランクをぶつけるなんて――」 「だろう?」 「そして、765プロらしさに、  一番こだわっちゃうのが、律子なんだ」 「性分ですね」 「昔から、変わらないね」  ・3人の夜の話。 竹の割り箸が、 鶏軟骨の唐揚げを挟む。 「そういや、先日のお話ですが」 ステンレスのフォークが、 メンチカツを2つに割った。 「プロモーション企画の件かね?」 「すいません。生意気な事 言ったかな、って」 「構わん。  自分の言説にだけは責任を持て。  今、お前に出す注文は、それだけだ」 プロデューサーが、生を飲み干した。 「しっかし、遅いですね」 時計を見ると、もう1時間が経っていた。 「奴は来ないぞ」 「え、どうして来ないんですか?」 「1週間の休暇を出した」 「はぁッ!? なんでそんな……」 「作曲はもうしばらく必要無い。  プロモーションへの参加もお前が却下した。  事務所にいられても、無意味だ」 「光のデビューは、お前が仕切れ。  いいな。責任は重大だぞ」 社長はテーブルに1万円札を2枚置くと、 スッと席を立つ。 「ちょっと、社長!」 「構わん」 「いや、そうじゃなくて、  コイツどうするんですか!?」 畳の上、座布団を重ねて、事務員が眠っていた。 それを指差し、プロデューサーが焦りを見せる。 「全てお前に任せる」 社長は手を振り、振り返らずに出て行った。 事務員はスヤスヤと、幸せそうに眠っていた。  ・それぞれの決意の話。 1人は作業台の上で、模擬手術を行っていた。 1人は向かいのデスクで書類を眺めていた。 2人は、よく似た顔立ちだった。 メスが皮膚代わりのラバーの表面を滑り、 黒いマジックで引かれた線を切り取っていく。 ラバーの下のラテックスごとV字に削り、 断面を細く、細かく縫い合わせていく。 「胸部だから、エキスパンダーも、  皮膚移植も向いてないし、  やっぱり切除縫合手術だなぁ」 「ケロイド体質じゃないから、  術後処置もそんなには――」 「終わったぁ!」 声をあげ、縫合を終えた真美が、 肌色のラテックス塊を差し出した。 「縫合は、ほぼ完璧」 「よっしゃー!」 「あとは、タイムを半分にしてね」 「だーよねー」 ふぅ、と息を吐いて、真美が両肩を回した。 「ねー、愛りん。成功例見ていい?」 「それでモチベーション上がるなら」 愛梨は、タンクトップの胸元を引き下げ、 自分の胸を真美に見せた。 愛梨の手術跡は、あると分かっていても 見えないほど、きれいに処置されていた。 「絶対、このレベルまで頑張るから」 2人の女医が視線を交わし、頷いた。  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  手紙を破り捨てようと手を掛けたが、 思い止まった。 「いかがいたしましょうか?」 金丸の声に、主宰はそうね、と呟いた。 音無光のCD販売差し止めを迫る脅迫。 この前は、オーディション不合格を 要求するような内容だった。 「無視で構わないわ。  既存の流通網は妨害が入るかもね」 「ラインを全て二重にします」 あの時点で、律子は知っていたのだ。 敵対的な意思の存在を。 伊織は、そう確信した。 不自然だとは思っていた。 あれだけの逸材が、 何ヶ月もレーベルに入れないなんて。 あれだけの才能に、 作詞家や作曲家がなびかないなんて。 「アイツの思い通りにはさせないわ」 主宰は、毅然と胸を張った。  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  3度目のコールで繋がった。 「ちょっと確認があるのだけれど」 ゼネラルプロデューサーに、 ライブのセットリストを聞いた。 構成は完璧で、変更の余地は無い。 「どうしたんですか? 専務」 事情を言えば、協力してくれるだろう。 ただ、巻き込みたくない、という気持ちが強かった。 「『アイネ・クライネ』のファン数を  底上げしたい理由があるのよ」 どこか大きい箱のライブにゲスト参加できないか、 と、律子は考えていたが、難しいタイミングだった。 「例えば、ですけど――」 ゼネラルプロデューサーの提案は、 『エメラルド・ブルーム』のライブ前、 待機列の前でのゲリラライブだった。 「物販で『アイネ』のCDも置きますよ」 「いいアイデアね。お願いしていい?」 「ええ。とりあえず会場周りは、こっちでやります」 こちらから頼もうと思っていた内容と、 全く同じものが、彼の側から 提案されたことがとても嬉しい。 最初に会った時は、頼りないと思った少年が、 今では、随分と立派になったものだ。 電話を切り、律子は体を椅子に沈めた。 写真立てを手に取り、小さく唇を噛む。 「光を、765プロに……」 専務という立場が、少し窮屈だった。  ・優しいプロデューサーの話。 壁越しに聞こえていた シャワーの音が途絶えた。 少し急ごうと、手を早める。 受信トレイからメールを2つ削除し、 今確認したメールを全て未読に戻す。 ゴミ箱を空にして、メールソフトを閉じた。 「あれ? お仕事してるの?」 濡れた髪をタオルで拭きながら、 小さな冷蔵庫を開け、中を覗く。 手にしたのはミネラルウォーターだった。 地方巡業のようなスケジュール。 朝食前、彼はジョギングへ。 私は送り出しと仕事のチェック。 それが、いつしか日課になっていた。 「今は何のお仕事?」 ペットボトルから水を飲みながら、 ノートPCを覗き込もうとする。 「……新しいジャージ?」 「ええ、そう。胸のスポンサー枠が  契約切れるから、延長するか、  他の企業入れるかで検討中」 ディスプレイには、グリーンの ジャージが映っていた。 「ああ、次のマッスル・キャッスル?」 「ええ。今回は諸星さんが出ないんだって。  総合優勝狙えるかもしれないわよ」 「尾崎さん、人を乗せるのが上手いよねー」 振り向いた顔がすぐ目の前に迫る。 どこかあどけなさの残る顔立ち。 一瞬、息が止まる。 「それが私の仕事だもの」 手を伸ばして、テーブルの上から ヘアバンドを取り、乾いたばかりの 髪を根元から立ち上げてやった。 「明日から関西だよね?」 「ええ。そうね。  京都1日、大阪で2日、神戸で1日」 「じゃあ、今日のお仕事終わったら、  お寿司食べに行こうよ」 「今日のステージの間に、  美味しそうなお店、探しておくわ」 「ありがとう。尾崎さんは優しいね。  じゃ、ちょっと走ってくるよ」 小さく手を振り、その背を見送る。 が―― 「ああ、そうだ」 何かを思い出したように、その足が止まる。 「もしかしたら事務所のアドレスに、  ボク宛のメールが来たら、  携帯に転送してもらえるかな」 「誰からのメール?」 「旧友がね、日本に帰ってきたんだ」 「あぁ、了解。もし来たら、教えるわ」 ――ありがとう。尾崎さんは優しいね。 そうよ。これは全部、あなたの為なの。  ・子供たちのアイドルの話。 アニマルズの舞台が終わり、 みんなが一列に並ぶ。 「次は、歌とダンスの時間だよー」 会場を埋める子供たちとその保護者が、 大きな歓声と拍手で応える。 クマのキャラクターが、 会場に呼びかける。 「じゃあ、みんなでお姉さんを呼ぼう!  せーの――」 「やよいおねーさーん!」 「はーいっ!」 ステージの右から、 オレンジ色の衣装の女性が駆け出してくる。 ステージ中央で、右手を挙げた。 「石川県のみんなー!  ハイターッチ! イェイ!」 子供たちの歓声に包まれて、 その笑顔は輝いていた。 「じゃあみんな!  お兄さんも呼ぶよー!  せーの――」 「しょうたおにーさーん!」 ステージの左から、 白い衣装の男性が駆け出してくる。 ロンダートからのバク宙で着地を決める。 「みんな元気いっぱいだねー。  この後の歌とダンスも、楽しんでよね!」 2人はハイタッチをすると、 大きな声と笑顔で、 子供たちに手を振った。 「じゃあお姉さん、最初の歌は?」 「はーい! 『スマイル体操』!!」 会場に、明るいイントロが響いた。  ・古都に吹く風 男は、新幹線のホームを降り、 中央改札を出た。 高い吹き抜けのエントランスホール。 そこで一度、携帯を取り出した。 「どうした?」 「無事着いたんで、ご報告をね」 「そうか。しっかりな」 「あと、やっぱりメールは返信ないです」 「そうか。何か理由がある。  そのつもりで動け」 「了解。でも、これ終わったら、  ホントに休暇くださいよ」 「考えておこう」 「んじゃ、また適当に連絡します」 男は携帯を切ると、 ジバンシーのサングラスを掛けた。 京都は、アイドル時代に 訪れて以来だった。 「美希クン」 「ん? なに?」 「明日以降のビジュアルレッスンは、  テレビ収録を想定して進めるんだ。  トークと歌、カメラは4台」 「スタジオに観覧者は?」 「いるが、無視して構わん」 「はーい。ちょっと考えてみるね」 社長の頭の中で、 無数の駒が動いていた。 ルークは手堅い。クイーンは自在に動ける。 ナイトは大きく跳躍した。 対する白は、クイーンが動きすぎていた。 陣は厚く、キングはまだ動かない。 そして、盤の外には、 赤のクイーンが見え隠れしていた。